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笑いを生じ、かつ賢き忠言によって人生を教える書物は二重の喜びである(ファエドルス)


by schoolforpatriot

日本の母たちへ ver. 2.0

わしが愛国学園園長真・愛国無罪である。
今日は「母の日」である。
だが、今は母親たる資格がない、いやそれどころか人間であるかどうかすら疑わしい女親が多い。
最近、こんな痛ましい事件があった。
msn産経ニュース/「育児疲れ」5カ月長女の両腕骨折る 虐待22歳母逮捕
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100420/crm1004201154008-n1.htm
<引用開始>
 生後5カ月の長女を虐待したとして、愛知県警半田署は20日までに、傷害の疑いで福井県敦賀市東洋町の無職、堀居緑子容疑者(22)を逮捕した。長女は両腕の骨を折るなど約3週間のけが。

 半田署によると、堀居容疑者は「育児疲れでイライラし、泣いた長女を壁にぶつけたり、顔や胸を殴ったりした」と供述。昨年11月の出産後、愛知県常滑市の実家で子育てをしていたが、今年2月に自宅に戻ってから虐待が始まったという。

 堀居容疑者は18日、長女と実家に帰省。長女の体にあざがあるのに気付いた容疑者の母(54)が19日に病院に連れて行き、病院が同署に通報した。

 逮捕容疑は、自宅で長女に暴行を加え、けがを負わせたとしている。

<引用終了>



まったく、この母親に言いたい。

テメエらの血は何色だ?(レイ/北斗の拳)

http://www.youtube.com/watch?v=97lnpTqerYY&feature=related


「みどり子を愛せざる母は人にあらず。みどり子を愛する心は無欲の慈悲なり。無欲の慈悲心を仁と名づく。この仁は人人固有のものなれば、もとめる志しだにあれば得がたき道にあらず。」

[意味:おさなごを愛せない母は人ではない。おさなごを愛する心は無欲の慈悲である。(このような)無欲の慈悲心を仁と名づける。この仁はすべての人の固有のものなので、もとめる志さえあれば得ることが難しいものではない。](中江藤樹)

上の言葉どおりこの母親の心はもはや人間のそれではない

なぜ日本の女性におさなごを愛せない者が増えたのか?

原因はわかっている。

女子の教戒の事、先師の深意尤も味わふべし。夫婦は人倫の大綱にて、父子兄弟の由つ(っ)て生ずる所なれば、一家盛衰治乱界(さかい)全く茲(ここ)にあり。故に先づ(ず)女子を教戒せずんばあるべからず。男子何程剛腸(ごうちょう)にして武士道を守るとも、婦人道を失ふ(う)時は、一家治まらず子孫の教戒亦(また)廃絶するに至る。豈(あ)に慎まざるべけんや。」

[意味:女子を教え、戒めることについて、山鹿素行先生の深いお考えを味わうべきである。夫婦は人として守るべき道の大本であり、父子兄弟が生まれ出る所である。だから一家が栄えるのも衰えるのも、世の中が治まるのも乱れるのも、まったくここが分かれ目である。男子がどれほど肝っ玉が据わり、武士道を守ったとしても、女性が人としての道を失ってしまえば一家は治まらず、また、子孫への教えや戒めもなくなってしまう。どうして慎まないでよかろうか。慎むべきである。]

上記の吉田松陰の言葉どおりその前の世代が子供、とくに女性に人の道を教えてこなかったからだ。

本校/放課後デムパ倶楽部#25 ”リアル”モンスターファーム
http://blog.livedoor.jp/school_for_patriot/archives/50768107.html


それは、家庭や学校で子供に

過保護

育児放棄

虐待


など適切なしつけができていないからだ。

ペットを躾けなければ「アルファ症候群」にかかり、主人を始めとする人間に平気で噛みつくように善悪の区別がつかない人間、自分が一番偉いと思いこみ、自分は何をやっても許されると考える人間が社会に出て他人を思いやることなく自分勝手な振る舞いをし、他人に迷惑をかけるのだ。

人間は躾られなければ人間らしさを持つことができないことをわかっていない者は非常に多い。

日本の教育は教育ではなく管理である
私が教育される側であったときからずっと感じ、反発してきたことです。

>うるさい校則も「規則なんだから守れ」と問答無用の服従を迫られる。NOをいい、自己主張し、反抗することは押さえつけられます

法律や決まり事を守ることは受け入れろ!

それは人間となるために必要なのだから。

>たとえばスウェーデンなんかは日本とは正反対
「算数ができることよりも、自分の意見が持てる人を育てる。大人のいっていることを信用せずに批判できる子供を育てる」のがモットー。

ほんとうにスウェーデンでこんな「紅衛兵」

を育てるような教育をしているなどわしには到底信じられない。

おそらくリアルのスウェーデンではなく秋原葉月の「脳内スウェーデン」でのことだろう。そう信じたい。

自分の「個」は自分で尊重するがいい!


と書いたとおり、

法律や人としての規範に従うことを嫌い、

わがまま勝手に生きたがる


秋原葉月の如き輩を量産するようになったのだ。

この獣の心を持った親が子供を獣になるよう育てる

「心のデフレスパイラル」

を我々の世代で止めなければならない!

母親たちよ

まずその身を正せ

その後で子供たちに人としての

正しい生き方を教えよ!


己を正してしかる後に人に教へばまた誰があえて従はざらんや。<中略>己を正すの学、勤めずんばあるべからず」

[意味:自分を正しくしてその後で人に教えるのであればどうして従わない人がいるだろうか。ありはしない。<中略>自分を正しくする学問に励まないようではいけない。](吉田松陰)


以下の言葉を心に刻んで子育てをしてほしい。


「子孫におしえるには、幼少の時を根本とす。むかしは胎教とて、胎内にあるあいだにも、母徳の教化あり。」

[意味:子孫に人としての道を教えるには、幼少の時期を根本とする。むかしは胎教といって、子供が胎内にあるあいだにも、母徳の教化があった。]


「胎教の心もちは慈悲正直を本とし、かりそめにも邪なる念を発すべからず。」

[意味:胎教の心がけは慈悲と正直を根本とし、ほんのすこしでも邪な心をおこしてはならない。]


「子におしえると云事をあさく心得たる人は、心の教えあることをわきまえず。」

[意味:(幼少時の)子供に教育するということを軽く思っている人は、心の教えがあることをじゅうぶんに知らない。]


「幼少の時には、父母、めのとなどの心行を教の根本とす。さて其子の悪念をひきうごかし、悪にならわざるように、用心第一なり。」

[意味:幼少の時には、父母や乳母などの心と行いを教育の根本とする。さて、その子の悪念を引きうごかし、悪にしたしまないようにすることが、心くばりの第一である]


「姑息の愛はさしあたりては慈愛に似たれども、その子気随になりて、才もなく徳もなく、とりけだものにちかくなりぬれば、畢竟(ひっきょう)は子をにくみて、あしき道へひきいれるにおなじ。」

[意味:甘やかす愛はさしあたっては慈愛のように思われるけれども、その子は気ままな性格になり、才能も考徳もなく、禽獣のような心になってしまい、結局は子を憎んで、悪の道に引き入れるのと同じになる]


「幼少の時には教え戒める事悪しきと心得、寵愛におぼれ、何事をもその子の気随にまかせて佚楽にふけるようにもてなし、ものいい立ちふるまいなどのいやしくそこつにして、その心放埓に習をも戒め制することなし。」

[意味:幼少の時には(親は)教え戒めるが好ましくないと心得て、寵愛におぼれさせ、何事もその子の自由にさせて、遊び楽しませるようにとりなし、言葉使いや行動などの下品で軽率にして、その心が気ままとなる習癖をもいましめ、抑えることもしない]


「母たるもの夫のみじかき所あしきことなどをその子に語りきかせてよろこぶもの、間にあり。これは正しくその子に不孝をおしえるなり。いかんとすれば子の不孝はかならず親の不是なるところを見るよりおこれり。」

[意味:母親たるものは、夫の短所や悪いことなどを、わが子に語りきかせてよろこぶものが、ときどきいる。これはまさしくその子に不孝を教えているようなものである。なんとなれば子の不孝はかならず親のよからぬ言行を見ているところから起こるのである。]


「さて又いえをおこすも子孫なり。家を破るも子孫なり。子孫に道をおしえずして、子孫の繁盛をもとめるは、あしなくて行(いく)ことをねがうにひとし。」

[意味:さてまた、家をさかんにするのも子や孫であり、また家をだめにするのも子や孫である。その子や孫に、人としての道を教えずに、かれらの繁昌をもとめるのは、足がないのに歩いて行くことを願っているのに等しい。]
(以上中江藤樹)





一  父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。
   父母を分けて言えば、父は子供の敬の的、母は愛の座であることを旨とする。不幸にして父母のいずれか欠けた場合、残った方が両者の分を兼ねなければならないことは言うまでもない。

二  家庭は人間教育の素地である。子供の正しい徳性と良い習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。
   このことが善く行われれば、少年の非行犯罪もほとんどなくなることは、各国において実証されている。

三  父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師、良き友を択んで、これに就けることを心がけなければならぬ。

四  父母は随時祖宗の祭りを行い、子供に永遠の命に参ずることを知らせる心がけが大切である。

五  父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。

六  父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めなければならぬ。

七  人世万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭にあって最も感情の陶冶を重んぜねばならぬ。

(以上父母憲章/日本の父母に/安岡正篤) 



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by schoolforpatriot | 2010-05-09 00:00 | 初等科