笑いを生じ、かつ賢き忠言によって人生を教える書物は二重の喜びである(ファエドルス)


by schoolforpatriot

[再掲]二・二六事件の日

わしが愛国学園園長真・愛国無罪である。

皆さん、今日は何の日か知っていますか?

今日は「二・二六事件」が勃発した日です。

今から74年前の昭和11年(1936年)2月26日、帝国陸軍の皇道派と呼ばれる派閥の一部の将校が当時の政府を打倒し、天皇に直接政治をしてもらうことで政府・財界の腐敗を正し、餓死したり、娘を売春宿に売らざるを得ないほどの極貧にあえぐ庶民を救ってもらおうと反乱を起こしました。

反乱軍は数人の政府閣僚、軍高官の暗殺に成功し、政府の中枢の制圧に成功しました。

彼らの庶民を救おうとする意思天皇親政への願いを記した「蹶起趣意書」は皇道派の将官を通じて昭和天皇の元に届けられました。

ところが、政府や軍の首脳を惨殺するといった決起将校の暴挙を昭和天皇は許さず、陸軍に反乱の鎮圧を厳命しました

昭和天皇のお怒りは

『朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ

朕自ラ近衛師団ヲ率ヰテ此レガ鎮定ニ当タラン

『自殺スルナラバ勝手ニ為スベク、此ノ如キモノニ勅使ナド以テノ外ナリ

これらの言葉に象徴されるようにすさまじいものでした。

決起将校に好意的な政府と軍の首脳は天皇と決起部隊の両者の説得を試みましたが、昭和天皇の反乱鎮圧の意思が強硬であり、決起将校の主張を聞き入れる意思がないことを悟った陸軍はついに反乱の鎮圧を決意、2月29日、戒厳司令部は討伐命令を下しました。

それでも可能な限り衝突を避け、ビラやラジオ、アドバルーンで反乱軍のメンバーに投降を促しました

これによって反乱部隊の下士官兵は午後2時までに原隊に帰り、将校らは午後5時に逮捕され反乱はあっけない終末を迎えました。

詳しくは

Wikipedia/二・二六事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

で。

今回この事件をとりあげたのは皆さんに教訓を得てもらいたいからです。

1.犯罪には厳罰をもって臨むべし。

また、犯罪者に同情してはならない。

二・二六事件の前に起きた五・一五事件では犬養首相を暗殺した犯人の減刑嘆願書が100万通以上届き、そのため裁判所は犯人を厳罰に処することができませんでした

そのために二・二六事件の決起将校は反乱を起こしても処刑されることはないだろうと国法と軍法を甘く見て二・二六事件を起こしたのでした。

2.相手をよく知る

決起将校は昭和天皇がどのような政治を望んでおられるかを知らず、自分たちの「取り巻きの重臣たちを排除して陛下御自身の手で政治をしてくだされば(これを当時は『天皇親政』と言った。)いい世の中になる」という願望のもとに反乱を起こし、昭和天皇の怒りを買って身を滅ぼしたのでした。

3.状況に流されるままに行動しない。

決起将校が反乱を決意したのは皇道派が多くいた第1師団が満洲に派遣されることを知り、そうなっては統制派(皇道派と対立していた)に陸軍省&参謀本部を牛耳られてしまうと恐れたからでした。

このように追い詰められ、準備不足で起こした「暴発」が成功するはずがありません。

4.やる時は徹底してやる。

決起将校は数人の政府閣僚、軍高官の暗殺に成功し、政府の中枢の制圧に成功しました。

ところが、天皇親政を願うわりには皇居へ乗り込んで昭和天皇に直談判することをせず、皇道派の将官を通じて「蹶起趣意書」を昭和天皇の元に届けるに留めました。

そのため、昭和天皇に自分たちの熱意が伝わらず、かえって昭和天皇の怒りを買って身を滅ぼしたのでした。





皆さんはこれらの教訓を学んで人生の勝利者になってください。



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by schoolforpatriot | 2010-02-26 00:00 | 初等科